緋色の7年間

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医事法の世界へようこそ!

◆医事法の世界へようこそ!

Welcome to the Medical Law world! …と言いたいところですが、医事法の世界は、ただいま鋭意建設中でありまして、「これが医事法だ!」と呼べるものはありません。そもそも医事法という法律があるわけでもありません。「医事法とは何か?」という問いに対しては、医事法学界としては「今、考えているところです」と答えるしかありません。

とはいえ、さすがに内容がはっきりしないと論じようがないので、普遍的ではありませんが、「医事法」の基本的な考え方をご紹介してみようと思います。必ずしも学界等で共通了解があるというわけではありませんので、あらかじめご了承ください。本記事では、「医事法とは何か」ということよりも「医事法の考え方とは何か」という点に焦点をあてて書いてみようと思います。

◆「医事法」は患者保護のための法である

私たちは、インフルエンザなどの病気にかかったり、骨折などのけがをしたときには病院へ行って、お医者さんに治療をしてもらいます。このような医療の現場では、「患者」と「医師」という日常生活(における通常の契約関係)とは異なる特殊な関係があることがわかります。どのあたりが特殊かといいますと、医師は私たちよりも私たち自身の生命・身体などの状態(健康状態)をよくわかっているということです。

近代法の原則からすると、自己の意思決定に価値が置かれることになりますから憲法13条前段参照)、医療の領域においても診療契約の当事者たる患者本人の意思決定が尊重されなくてはなりません。しかし、医療においては、意思決定の前提が成立しないと考えられるのです。なぜならば、自ら適切に意思決定しうるためには、十分な情報が必要だからです。意思決定のために必要な自分の健康状態に関する情報や治療に関する情報は、患者の側にはなく、医師(あるいは病院)の側にあります。これを情報の非対称性と呼びます。

情報の非対称性があると、患者にとって不利益な医療がなされる可能性があります。医師が常に患者のためを思って医療行為をしてくれるとは限りません。患者と医師との利害関係は、必ずしも一致しないからです。たとえば、不必要な治療で報酬をもらったりしても、その治療が本当に必要だったのかどうかは、情報を持たない患者にはわかりません。情報を持たない患者は、弱い立場に立たされてしまうのです。ここに、紛争のリスクが発生します。

仮に紛争が生じることになれば、本来的には、民法の中の不法行為民法709条以下)などの問題となり、患者は、事後的に訴訟等によって救済を求めることになります。ところが、医療の領域は非常に専門的であるため、患者側が医師や病院を訴えたとしてもなかなか過失や因果関係などの立証が難しく、実効的な権利救済がなされないということが起こり得ます。医療分野の場合には、訴訟等の場面においても患者の健康状態や治療に関する情報を持っているのは医師や病院の側であることに変わりはなく、情報の非対称性によって、不法行為法などによる患者の事後救済が期待できないのです。

したがって、このような情報の非対称性から生じる問題に対処して、患者を保護するために、法律による事前規制が行われることになります。簡単に言えば、これが医事法です。医事法の第一の目的は、患者の保護にあります。たとえば、医師法は、患者の保護のために医師の行為規制等を定めた法律です。このあたりは、金融商品取引法における投資者保護の考え方などと類似しています(→「よくわかる金商法上の有価証券概念」を参照)

ただし、金融商品取引法の場合には投資者の自己決定原則を貫くのに対して、医事法の場合には実質的に最終的な判断をするのは患者ではなく医師です。治療を行うのはあくまでも医師であり、また、患者本人が必ずしも適切に意思決定ができる健康状態にないことから、医事法における自己決定の尊重とは、医師が患者の意思を最大限尊重することが要請されるという意味になります。このことをインフォームド・コンセントと呼びますが、これは、医師による治療などに対する「患者の合意/同意」であって、一般的な民事法で想定されるような経済合理的な「患者の意思決定」とは多少意味合いが異なります。

◆「医事法」の公共的性格

難しいのは、ここからです。医事法が単に患者保護を目的としているだけならば、あえて「医事法」などという学問的領域を設ける必要性はありません。他の業法と同じように扱えばよいからです。このように考えれば、医事法は一特別法の束にすぎないことになるでしょう。しかし、医事法は、他の法領域と決定的に異なります。それは、医療という領域は、公共的な性質が極めて強いことです。

およそ人間が生活する限り、一切の病気もけがもしないということはありません。私たちは必ず何らかの形で医療とかかわります。それこそ、多くの人は生まれた時から病院でお世話になります。死ぬ時も、おそらく病院でしょう。私たちの生活は、医療とは決して切り離せないのです。投資などと比較して、一般の人々がかかわる頻度の桁が違います。ですから、健康で文化的な最低限度の生活を保障するにあたって、誰もが充実した医療を受けられないようでは困るのです憲法25条参照)。ここに、医療の極めて強い公共的性格を見出すことができます。

医療サービスを完全な自由市場に委ねれば長期的には社会全体の利益になるのかもしれませんが、少なくとも、現在生きている私たちが健康で文化的な最低限度の生活を平等に保障されることのほうが重要です。ですから、多少市場性が犠牲にされることになりますが、医療サービスに対して一定の水準が求められることになります。すなわちそれは、医師の個別行為を規制することによる患者保護だけではなく、医療システム全体を健全に機能させることが必要となることを意味します。医事法の第二の目的は、医療制度の健全性保護です。公共の利益のため、病院などの医療システム自体を保護し、円滑に機能させることが要請されるわけです。たとえば、医療法は、医療提供体制の枠組み等を定めています。

◆「医事法」の難しさ

ここで、上述した医事法の目的をまとめると、次のようになります。

  • 患者の保護
  • 医療制度の健全性保護

問題は、さらに厄介なのです。基本的にこの2つの観点を押さえられていれば、医事法領域のかなりの部分をカバーできますが、これらの目的から外れるような事柄があります。その最たるものは、生命倫理の領域です。人の始期・終期の問題、性関係の問題、家族関係の問題などが絡んでくると、ことは非常に複雑化します。とりわけ最近では、ヒトゲノムに関する問題があります。

これらのどこが問題なのかというと、生命倫理の問題は、患者個人にとどまる話でもなければ、医療制度の話でもないということなのです。家族や共同体、社会といった要素が絡んできます。つまりこれは、自己決定原則やインフォームド・コンセントを貫徹できない場合が生じてくることを意味します。近代法の大原則に対するウィークポイントを突くような事例が出てくるのです。たとえば、遺伝子検査で自分の遺伝情報を調べることができるわけですが、自分の遺伝子は半分ずつ両親から受け継いだものです(遺伝情報の家族間共有性)。それゆえ、遺伝子検査をする場合には、必然的に家族の遺伝情報も調べることになります。このような場合、自分の意思表示だけで遺伝子検査をすることが許されるのでしょうか。あるいは、代理懐胎の問題にしても、遺伝的母と代理母、生まれる前のヒト胚ないし胎児、そして共同体等の関係が複雑に絡み合うことになります。ここではもはや、近代法が前提としている自律的・合理的に意思決定をなしうる主体としての個人を想定することは困難なのです。

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(※注:診療契約の当事者は、患者と医師又は病院である。)

まとめましょう。医事法は、次のことを目的としていると言うことができます。

  1. 患者の保護
  2. 医療制度の健全性保護
  3. 自己決定原則の修正

このような観点から、医事法を考えてみるとよいと思います。

このほか、医事法領域には薬機法(旧薬事法)などの医師・患者関係とは別個の関係等も含まれますが、考え方は基本的に同じです。今回は、ここまでにしておきましょう。

それでは~

 

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医事法入門 第4版 (有斐閣アルマ)

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