緋色の7年間

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因果関係と客観的帰属2

判例の展開

前回は、判例の立場における因果関係の問題とは、結果の発生を理由として行為により重い違法評価を肯定できるかどうかの問題であると説明しました。したがって、因果関係論においては、結果の発生による行為の危険性の確証の関係、すなわち「危険の現実化」が判断基準になります(井田・講義124頁参照。ただし、これだけではマジックワードです)。問題は、「危険の現実化」の判断の内容です。

判例事例判断を積み重ねるにとどまり、一般的な因果関係の要件を示していません。そこで、学説は蓄積された判例類型化を試みています。類型化の意義は、因果関係を肯定した判例と肯定しなかった判例とにカテゴライズすることによって、判例の実質的な基準を見つけ出すことにあるのですが、なぜか学説は因果関係を肯定した判例の「中で」類型化を行ってしまっています。たとえば、「①行為後の第三者行為の介在、②行為後の被害者の行為の介在、③行為後の行為者の行為の介在」や「①行為の危険性が大きい場合、②行為の危険性が小さいが、危険な行為を誘発する場合」などです。しかしながら、「因果関係を肯定した判例」と「因果関係を肯定した判例」とに分類しても意味がありません。この記事では、正しい類型化を行ってみたいと思います。

因果関係を肯定 因果関係を否定

大阪南港事件【平成2年】

夜間潜水事件【平成4年】

高速道路侵入事件【平成15年】

被害者が暴れて容体が悪化した事件【平成16年】

高速道路停車事件【平成16年】

トランク追突死事件【平成18年】

米兵轢き逃げ事件【昭和42年】

(熊撃ち誤射事件【昭和53年】?)

(※有名な最高裁判例のみ)

…と、本来は、このように類型化すべきでしょう。そうすると、米兵轢き逃げ事件(最決昭和42年10月24日刑集21巻8号1116頁)とほかの判例の決定的な違いとは、いったい何なのかが問題であることがわかります。

米兵轢き逃げ事件の調査官解説によると、同判例は(従来の意味における)折衷的相当因果関係説を採用したものらしいですが最判解刑事篇昭和42年度280頁参照)、4年後の、重篤な心臓疾患による死亡について因果関係を肯定した判例最判昭和46年6月17日刑集25巻4号567頁)によってその考え方は否定されているようにも思われます。ただ、これが大法廷判決でないということは、判例変更があったと理解することはできません。そうすると、手続形式論からすれば、やはり判例は、米兵轢き逃げ事件に特有の事情を考慮したのだと考えるほかありません。

そこで、特有の事情とは何かが問題となります。

〔本件の因果経過は〕経験上、普通、予想しえられるところではなく、ことに、本件においては、被害者の死因となった頭部の傷害が〔…被告人の行為によるものか〕確定しがたいというのであって、このような場合に甲の〔…〕行為から被害者の〔…〕死の結果の発生することが、われわれの経験則上当然予想しえられるところであるとは到底いえない。

(最決昭和42年10月24日刑集21巻8号1116頁)

考慮した事実(の評価)としては、①因果経過自体が経験上予測しえないこと、②被害者の死因が被告人の行為から生じたものか確定しえないこと、の2点です。簡単にいえば、①因果経過の異常性、②死因の不確定性を考慮して、因果関係を否定したということです。これら①・②が、同判例が特に考慮した事情です。なお、同判例は、論理構造的には、②が①に吸収されるような書き方(②が①の補助的な基準であるかのような書き方)をしていますが、これ以降に出された判例も含めて考えると、わけて書いたほうがわかりやすいと思われます。

大阪南港事件(最決平成2年11月20日刑集44巻8号837頁)では、死因の同一性(つまり当該行為が死因を形成したことについて確定的であると言えること)が認められるので、②が欠けたとみることができます。夜間潜水事件(最決平成4年12月17日刑集46巻9号683頁)でも死因の同一性が認められるので②が欠けます。高速道路侵入事件(最決平成15年7月16日刑集57巻7号950頁)では、①の因果経過の異常性の点がかなりきわどい事案でしたが、「著しく不自然、不相当であったとはいえない」として①が欠けるとしていると考えることができます。被害者が暴れて容体が悪化した事案(最決平成16年2月17日刑集58巻2号169頁)では、死因の同一性が認められますから、②が欠けます。高速道路停車事件(平成16年10月19日刑集58巻7号645頁)では、①が問題となり、これが欠けると判断したものと考えられます。トランク追突死事件(平成18年3月27日刑集60巻3号382頁)は、②が欠けると判断したものでしょう。

以上を表側から見て、①因果経過の相当性、②死因の同一性(確定性)を考慮して、因果関係を肯定することができると考えることができるでしょう(判例が裏側から書いているように読めるのは、上告理由に対する回答という形式をとらざるを得ないからです)。これが、判例における「危険の現実化」の判断の内容です。仮に因果関係が問題となる事案で弁護側に立つとすれば、①因果経過が著しく不相当であること、②死因の同一性が認められず死因が不確定であること、の2点を中心に主張すればよいでしょう。また、検察側は、この2つの点に配慮した立証を行うべきことになるように思われます。なお、今回は、判例を批判的に検討することまではしません。これが危険の現実化の判断方法として妥当かどうかは、各自で考えてみてほしいと思います。

◆まとめ

例によって論証っぽくまとめておきましょう。

因果関係の問題とは、結果の発生を理由として行為により重い違法評価を肯定できるかどうかの問題であるから、行為の危険が結果に実現した場合にのみ因果関係を肯定すべきであると考える。具体的には、①因果経過の相当性、②死因の同一性を考慮して判断する。

それではまた~

 

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