緋色の7年間

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故意と具体的事実の錯誤2

◆学説の対立

前回は、具体的事実の錯誤の問題は、故意(の内容)の抽象化の問題であり、認識した結果と現実に発生した結果との食い違いがどこまで許容されるかが問題となっているということを説明しました。これについて、現在では「構成要件の範囲内の錯誤は故意を阻却しない」との点で学説の一致を見ていますが、「構成要件の範囲内」とは具体的にどこまでのことをいうのかという点に対立があるのでした。

この点について、主に2つの見解が主張されています。この2つの考え方の違いは、判例を読む上で重要になってきますから、一応、さらっと押さえておきましょう。

ひとつはかつての通説で、現在では抽象的法定符合説(旧法定的符合説)と呼ばれている見解です。条文の文言の形式上、構成要件は抽象的にしか与えられていないと考えられるので、法益主体の具体性は問題にならないのだとする立場です(たとえば、高橋・総論初版187頁など。「故意責任の本質は~」の論証はこの立場です)。たとえば、殺人罪(刑法199条)の場合、「人」という抽象的文言からは、具体的な法益主体の認識までは要求されていないのだと理解されることになります。この立場からは、誰かに対して故意がありさえすれば、無条件にすべての人に故意が認められると考えることになります。

これに対して強力に主張されてきているのが、具体的法定符合説です。この見解は、多数説になりつつあります。同見解によると、構成要件は法益主体ごとにあたえられるものであり、法益主体の具体性は捨象しえない重要性を有すると考えることになります(たとえば、山口・総論2版204頁以下など)。たとえば、殺人罪は個人的法益ですので、各個人の生命が法益として保護されることになりますから、構成要件(あるいは法益の保護を目的とした行為規範)は法益主体としての個人に与えられるのだと理解されます。この立場からは、法益主体の同一性の範囲内の錯誤は故意を阻却しないと考えることになり、行為者の認識事実からいかなる法益主体を構成しうるのかを具体的に検討することになります。

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かつての法定的符合説VS具体的符合説の図式とどこが異なるのかというと、①いずれの見解も構成要件の範囲内の錯誤は故意を阻却しないとしていること(実際の発生結果との一致を要求していないこと。山口・総論2版200頁参照)、②いずれの見解も故意犯に立つこと複数故意犯の成立を予定していること。井田・講義180頁参照)の2点です。

もしかしたら、古い学説で勉強してきた学生にとっては、具体的法定符合説の論理を具体的符合説の論理と混同したりして理解しにくいかもしれません。現に、「具体的法定符合説」は「具体的符合説」と同じになるのではないかという批判をしている学者もいるところですから、ややこしいかもしれません。そもそも、ネーミングの統一が不徹底という「大人の事情」もあります。また、折衷的相当因果関係説を採用した場合と処罰範囲が変わるのかどうかという、さらにややこしい議論もあったりします。発展的な上に面倒なので、とりあえずこのあたりはスルーしましょう。

判例の展開

それでは、判例を見てみることにしましょう。大審院時代の判例最高裁判決の傍論最判昭和25年7月11日刑集4巻7号1261頁)で言及されたこともないではないですが、いずれも狭義の「判例」ではありません(→「『判例』の読み方」参照)。これらを除くと、これまでに具体的事実の錯誤の「判例」は(因果関係の錯誤の事例を除けば)ひとつしかありません。それがこちらです。

〔規範定立〕犯罪の故意があるとするには、罪となるべき事実の認識を必要とするものであるが、犯人が認識した罪となるべき事実と現実に発生した事実とが必ずしも具体的に一致することを要するものではなく、両者が法定の範囲内において一致することをもつて足りるものと解すべきである〔…〕から、人を殺す意思のもとに殺害行為に出た以上、犯人の認識しなかつた人に対してその結果が発生した場合にも、右の結果について殺人の故意があるものというべきである。

〔あてはめ〕これを本件についてみると、原判決の認定するところによれば、被告人は、警ら中の巡査Bからけん銃を強取しようと決意して同巡査を追尾し、東京都新宿区ab丁目c番d号先附近の歩道上に至つた際、たまたま周囲に人影が見えなくなつたとみて、同巡査を殺害するかも知れないことを認識し、かつ、あえてこれを認容し、建設用びよう打銃を改造しびよう一本を装てんした手製装薬銃一丁を構えて同巡査の背後約一メートルに接近し、同巡査の右肩部附近をねらい、ハンマーで右手製装薬銃の撃針後部をたたいて右びようを発射させたが〔殺意の認定〕同巡査に右側胸部貫通銃創を負わせたにとどまり、かつ、同巡査のけん銃を強取することができず、更に、同巡査の身体を貫通した右びようをたまたま同巡査の約三〇メートル右前方の道路反対側の歩道上を通行中のAの背部に命中させ、同人に腹部貫通銃創を負わせた、というのである。これによると、被告人が人を殺害する意思のもとに手製装薬銃を発射して殺害行為に出た結果、被告人の意図した巡査Bに右側胸部貫通銃創を負わせたが殺害するに至らなかつたのであるから、同巡査に対する殺人未遂罪が成立し、同時に、被告人の予期しなかつた通行人Aに対し腹部貫通銃創の結果が発生し、かつ、右殺害行為とAの傷害の結果との間に因果関係が認められるから、同人に対する殺人未遂罪もまた成立〔…〕、しかも、被告人の右殺人未遂の所為は同巡査に対する強盗の手段として行われたものであるから、強盗との結合犯として、被告人のBに対する所為についてはもちろんのこと、Aに対する所為についても強盗殺人未遂罪が成立するというべきである。〔…〕

未必の故意がないこととの矛盾について〕もつとも、原判決が、被告人のBに対する故意の点については少なくとも未必的殺意が認められるが、被告人のAに対する故意の点については未必的殺意はもちろん暴行の未必的故意も認められない旨を判示していることは、所論の指摘するとおりであるが、右は、行為の実行にあたり、被告人が現に認識しあるいは認識しなかつた内容を明らかにしたにすぎないものとみるべきである。

最判昭和53年7月28日刑集32巻5号1068頁)

このように、判例は「行為者が認識した犯罪事実と現実に発生した事実とが、法定の範囲内において一致すれば、故意の成立を認めるべきである」との考え方に立っています。これをもって、判例抽象的法定符合説に立っていると言えないではないのですか、このような見方に対して、具体的法定符合説の立場から「本当に判例はそんな無限定な考え方に立っているのか?」との疑問が提起されています。

判例は、行為者の意図しなかった結果との関係でも故意の成立を認めているが、それはあくまでも具体的事実に即した判断であり、法定的符合説〔※この記事でいう抽象的法定符合説のこと〕のような無限定な判断基準を形式的にあてはめようとする立場であるかどうかについては、異論を差し挟む余地があろう。(井田・講義177-178頁)

というのも、判例は因果関係を広く認める傾向にあるからです(これについては、「因果関係と客観的帰属」を参照)。そもそも、抽象的法定符合説の論者の多くは、因果関係で帰責範囲を厳格に絞ることを前提にしていますので、処罰範囲が無限定になってしまうとの疑問は妥当だと考えられます(佐伯・総論267頁も参照)。そこで、判例の射程が問題となってくるわけです。

判例は、原判決(東京高判昭和52年3月8日高刑集30巻1号150頁)未必の故意を認めなかったことについて、「行為の実行にあたり、被告人が現に認識しあるいは認識しなかつた内容を明らかにしたにすぎない」と把握することで、単に「被害者を認識しなかった」だけだと原判決を縮小して理解しています(なお、佐伯・総論267頁では、最高裁未必の故意を否定したことを前提にしているとしていますが、未必の故意についてはあえて直接に言及していないものと考えるべきではないかと思います)。つまり判例は、原判決が未必の故意を否定したとしても、その判示部分においては被害者について認識・予見が「可能」かどうかについて言及されていないとしたわけです。

この上で、最高裁判決の趣旨を「予見可能な範囲で『故意』を認めれば責任主義に反することはない」と理解することで(佐伯・総論268頁)判例の射程(限定基準)を見いだせると考えることはできるように思われます。すなわち、判例の射程は、行為者が結果の発生を予見可能であった範囲で故意の符合を認めるというものになります。 

◆まとめ

例によって論証っぽくまとめておきましょう。個人的には、抽象的法定符合説は支持していませんが、判例をこの立場とみて、限定基準を組み込んでみることにしたいと思います。

故意とは構成要件該当事実の認識であるが、文言上、具体的な法益主体の認識までは要求されていないものと考えられる。ゆえに、行為者が認識した犯罪事実と現実に発生した事実とが、法定の範囲内において一致すれば、故意の成立を認めるべきであると考える。そして、予見可能な範囲で故意を認めれば責任主義に反することはないので、行為者が結果の発生について予見可能な範囲に限って故意の符合を認めるべきである。なお、故意の内容を抽象化して考える以上は、故意の個数は問題とならない。

それではまた~

 

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