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ゆるふわ刑法ブログ

かぽーんと刑法を考えるブログです。司法試験の過去問解説とか、基本書の紹介とかやってます。たまにリアル社会のことも考えます。論の展開が粗いのと読みにくいフォントは仕様。

マインド・コントロールと間接正犯(後編)

刑法

今回は、間接正犯の後編です(→前編)。間接正犯論は壮絶に難解です…。けっこうハードなので、がんばっていきましょう~

◆学説と判例

前回は、「マインド・コントロール」を刑法理論に取り込んでみることを試みましたが、ここで一度、間接正犯の一般論を簡単に押さえておきましょう。なお、間接正犯における実行の着手時期については、この記事では触れません(個人的には「間接正犯だからこの時点で着手を認めるべきだ」という議論はちょっと大雑把すぎるような気がしますし、そもそも正犯性の問題と未遂犯の問題とでは問題意識が異なるはずで、これらを直接に関連させようというのも疑問に思っています。もっとも、試験的には重要です)

教科書・基本書の多くは、実行行為のところで不作為犯と並べるような形で間接正犯を論じるか、もしくは、責任の章の後ろで未遂犯や共犯とあわせて間接正犯を論じています。最近は、後者のほうが多いでしょうか。この時点で、論じる立場によって問題意識の置かれ方が異なることに気づきます。つまり、間接正犯を「実行行為性」の問題として理解するのか、「正犯性」の問題として理解するのか、という点の相違です。

かつては、間接正犯は「実行行為性」の問題だとされていました。当時は「正犯性」という考え方が薄かったからです。刑法(学)では、犯罪は単独で実行することが基本形態として想定されています。そこで、他人の行為を利用しているような場合(外形的に見て実行行為の自主実行がない場合)をどう考えるのかということが問題となるわけですが、これについて他人の行為を「道具」として考えていこうとする流れがありました(道具理論)。つまり、「他人の行為」であろうと「ナイフ」とか「銃」とか「毒薬」とか「訓練された飼い犬」と変わらないと考えられたのです。この考え方によると、他人の行為を利用することは「道具」を利用することと同じことですから、「実行行為」の枠の中でそれをどう評価するかというだけの問題になります。実行行為とは、構成要件的結果発生の現実的危険性を有する行為のことですから、単純に「危険性」を基準に判断すればよいことになります。判例も「自己の犯罪実現のための道具として利用」したかどうかという表現を用いて、被利用者の道具性を基準にしているようにも見えます(最決平成9年10月30日刑集51巻9号816頁。コントロールド・デリバリー事件)

しかし、ここで次のような疑問が提起されることになります。上のような間接正犯の理解によって、教唆・幇助行為との区別をつけることができるのでしょうか? すなわち、危険性の大小で区別しようとしても、教唆犯と同程度の危険性しかもたない行為でも正犯行為と考えるべき場合があるのではないかということです(井田・講義438頁参照)

ここから、実行行為概念解体の潮流(山口・問題探究総論2頁以下などを参照)とも混ざり合って、間接正犯論の問題関心は、「実行行為性」から「狭義の共犯との区別」にシフトします。言い換えれば、間接正犯の「正犯性」に問題意識が置かれるようになったのです(ここでは、もはや外形的な自主実行がないことが問題の本質とはされていないように思われます。問題の本質は、罪責の検討対象となっている行為者以外の他者が「行為に」関与していること自体ではないでしょうか。だからこそ実行行為性の問題と結びつく実行の着手時期の問題とは切り離されるべきだと思うのですが…)。「間接正犯」という言葉は、既に正犯であることを前提としていますが、この前提をもう少し固めようと考えられたわけです。

繰り返しますが、刑法では、犯罪は単独で実行することが基本形態として想定されています。一人一罪、これが理論上の基本形態です。この例外的な形態(未遂犯、共犯、罪数など)が、基本書の責任の章の後ろから続きます。最近の基本書は、この例外的な形態に間接正犯を位置付けていますが、これは、登場人物(行為者)が2人なので一人一罪の原則形態から外れると考えるからです。突き詰めると、間接正犯の問題を「正犯性」の問題として捉えるとき、背後者と関与者(実行者)の「関係性」が問われています。ただし、間接正犯は、あくまでも単独正犯内部の事実上のカテゴリーにすぎないことには注意が必要です(山口・総論2版43頁などを参照)

そこで、間接正犯の正犯性の基準(狭義の共犯との区別の基準)ですが、今のところ見解の一致があるようなないような微妙な状況です。学説は各々で色々な論理を使っていますが、その実質的な内容は同じではないかと思われますので、とりあえず前回と同様に井田先生の主張しているタイプの行為支配説に乗っかることにしましょう(どのような立場に立っても実際の帰結に違いはありません。正犯性の基準が原理的にどうやっても導けないことについては、「刑法解釈と他者関係性」を参照)

行為支配説は、基本的に道具理論と考え方は同じなのですが、危険性の大小だけではなく事情の総合考慮で「行為者の第一次的な犯罪主体性」を判断します(検討の順序としては、間接正犯→共同正犯となります。これについては、井田・講義447頁参照。反対の立場もあります)。先にあげた判例は「自己の犯罪実現のための道具として利用」したかどうかという表現で、被利用者の道具性に着目していることはたしかですが、むしろ重要なことは「自己の犯罪実現のための」という部分だと思われます。この部分が「第一次的な犯罪主体性」を強調しているのです。判例の立場は、従来の道具理論とは、アクセントの置かれ方が異なっているように思われます。同判例の事案はコントロールド・デリバリーの事案(つまり犯人検挙のために禁制品をあえて業者に配達させることから、警察が配送物というか配送業者をコントロールしているという事案)ですから、厳密に言えば、被利用者の道具性はないはずなのです。もっぱら警察が配送業者をコントロールしていますから、犯人から見た配送業者の道具性(コントロール)はありません。結局のところ、判例の基準は、「第一次的な犯罪主体性」に求められるほかないように思われます。

なお、非常に難解な議論として、「正犯の背後の正犯」がありうるのかという問題があります(多重正犯問題)。これについては、因果関係の問題(大阪南港事件など)などともあわせて考えなくてはならないので、この記事では論じられません。

判例の考慮要素

そこで、判例の具体的な考慮要素を見ることにしましょう。

前回見た通り、間接正犯には類型があります。判例の類型化の基本方針は、間接正犯を認めたものと認めなかったものとにカテゴライズして、その区別の実質的な基準を見つけ出すことにあります。しかし、因果関係のときとは異なり、今回は「間接正犯」の範囲自体が不明瞭です。

因果関係は、あるかないかの2パターンしかなく、そうやって考えてもそれほど障害がありませんでした。因果関係の問題は、いかに個別に因果経過が異なるとはいっても結果犯のケースしか観念できませんし、現実に問題となる罪は殺人罪傷害致死罪などの人の生命・身体に関する法益の罪にほぼ限られます。ですから、あるかないかの2パターンで考えても問題はなかったのです。ところが、間接正犯の場合は事案を限定する要素が何もないので、成立するか成立しないかの2パターンで考えると、かなり漠然としたものになります。殺人でも窃盗でも間接正犯は観念できるので、2パターンでは類型化のメリットが薄れると考えられます。

こうなると、一度事案の構造等で類型化した後でさらに成立の有無で類型化することはやむを得ないように思われます。全部論じることは不可能なので、この記事では、問題となりやすい「意思支配型」だけをとりあげようと思います。

本当は事実関係は重要なのですが、今回は思い切って事例判断の「切り貼り」にしたいと思います(事件名をつけてみたので、事実関係を思い出せない人は参考にしてみてください)。もう一度書いておきますが、判例の一般的・抽象的な基準は「自己の犯罪実現のための道具として利用」したことです。

「甲〔背後者〕が、自己の日頃の言動に畏怖し意思を抑圧されている同女〔直接行為者〕を利用して右各窃盗を行ったと認められるのであるから、〔…〕本件各窃盗の間接正犯が成立する」(最決昭和58年9月21日刑集37巻7号1070頁。「タバコとドライバーぐりぐり事件」)
「認定事実によれば、〔…〕〔背後者〕の指示命令は乙〔直接行為者〕意思を抑圧するに足る程度のものではなく、乙は自らの意思により本件強盗を決意した上、臨機応変に対処して本件強盗を完遂したことなどが明らかである。これらの事情に照らすと、〔…〕甲につき本件強盗の間接正犯が成立するものとは、認められない」(最決平成13年10月25日刑集55巻6号519頁。「覆面ビニール袋をかぶったエアーガンによるトイレ監禁強盗事件」)
「本件犯行当時、被害者〔同時に直接行為者でもある〕をして、甲〔背後者〕命令に応じて車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥らせていたものということができる。甲は、以上のような精神状態に陥っていた被害者に対して、本件当日、漁港の岸壁上から車ごと海中に転落するように命じ、被害者をして、自らを死亡させる現実的危険性の高い行為に及ばせたものであるから、被害者に命令して車ごと海に転落させた甲の行為は、殺人罪の実行行為に当たる」(最決平成16年1月20日刑集58巻1号1頁。「被害者を利用した殺人事件」)

このように、「意思支配型」の間接正犯の類型は、「直接行為者の意思を抑圧するに足りる程度の行為」をしたかどうかが基準になります。その考慮要素は、(上の3つの事例判断から読み取れる範囲では)①背後者による暴行・脅迫の有無のほか、②背後者の言動に対して反発すると暴行・脅迫が加えられることが予期されるような事情の有無、③直接行為者の自律的行動の有無などです。

◆まとめ

例によって、論証っぽくまとめておきましょう。

正犯とは第一次的な犯罪主体性を有する者であり、この点で間接正犯は直接正犯と構成要件的に同価値である。ゆえに、他人を自己の犯罪実現のための道具として利用した場合には、第一次的な犯罪主体性が認められることから、正犯として帰責されると考える。

〔※意思支配型の場合〕具体的には、被利用者の意思を抑圧するに足る程度の行為を行ったことが必要であり、①行為者の被利用者に対する暴行・脅迫等の有無、②被利用者が行為者に反発することで行為者の暴行・脅迫等を予期しうる事情の有無、③被利用者の自律的行動の有無などを総合的に考慮して判断する。

※正犯論は、どの立場も基本的にトートロジーになるので、そのあたりは気にしないでください。原理的に「正犯だから正犯なのだ」としか言えません。結局は、「正犯」という言葉にどのような意味を付与するのかという価値判断の問題に収束すると思われます。論証は、正犯意思(主観)と利用支配関係(客観)をわけて書くパターンもあるようですが、そんなにきれいにわかれることはありません。正犯意思があるから利用支配関係があるのか、利用支配関係があるから正犯意思が認められるのか、そのあたりも解明されていませんし、おそらく今後も解明されることはありません。

難しいですね…全然解説できている気がしません…。後編でもマインド・コントロールの話を入れてみようと思ったのですが、難解すぎて挫折しました。研究者の学術論文をご期待ください(一昨年あたりにその方向性で教唆犯か何かの研究が刑法学会で発表されていたような記憶があるようなないような…)

それではまた~

 

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