緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

司法警察活動と行政警察活動

◆刑事訴訟法は体系的に理解できない

こんにちは~

今回のテーマは、「司法警察活動」と「行政警察活動」についてです。

はじめにお断りをしておきますと、刑訴法なんか体系的に理解できるわけがないですし、原理・原則を習得することなんかも不可能ですから。諦めてください。刑訴法の基礎を習得した、なんて言ってる人がいれば嘘または勘違いです。

なぜそう言い切れるかというと、ひとつは、刑訴法領域は敗戦後の改革で憲法とともに英米法の理念を取り込んだにもかかわらず、刑訴法の規定振りに戦前の残骸が含まれていること。ほら、捜査の問題とかで前のほうの規定を準用する(単独で適用することがない)でしょ? わざわざ回りくどく100番台の条文とかを準用しませんか? それが残骸の最も大きな目立つ部分です。つまり、なぜか司法機関自身が捜査できる規定があり、それを準用するという条文構造なのです。刑事訴訟法典の三大暗部(勝手に命名)のひとつ。あとの2つはお察し。

もうひとつは、行政法領域や刑法領域が依然として大陸法原理のままであり、英米法を原理とする刑訴法や憲法と全然連動していないこと。この境界領域(これをカッコよく「トワイライト・ゾーン」とか呼んでおきましょうか)は、理屈的にはめちゃくちゃな議論が展開されている領域なのです。本当によくわからないところは、学者の皆様も放置されています。要するに、覚えるしかないパターン。

仮に理論的に突き詰めようとするならば、渥美先生のように憲法理論を武器にして他の領域をねじ伏せていくやり方(たとえば、渥美東洋『全訂刑事訴訟法』(有斐閣、2009年)27頁参照)とかがありますけれどね。正攻法だし、もっと評価されていいと思うんだけれど、本を読めない人たちがけっこういるからさぁ…

◆何が問題となっているのか

そこで、本題です。

刑訴法(英米法系)と行政法(ドイツ法系)の間の「トワイライト・ゾーン」なので、厳密にやるのはたぶん無理です。わかったふりしてる弁護士さんとかがいても、わかってないと思います。それでいいのです。私もわかりません(きっぱり)と、いうわけで、とりあえず問題意識だけを確認して終えることにします。泥沼だし。

本題について、はじめに指摘しておきますと、この議論では、司法権と行政権の権限分配(権力分立)が問題となっているわけではありません。「行政作用」や「司法作用」という言葉を用いて説明することは、やや不適切ではないかと思われます。この問題は、本来的に刑事司法の実現(具体的な刑罰権の存否に関する紛争に対する刑事実体法の適用による終局的解決)に向けた捜査機関の活動について、その活動範囲を犯罪事実の発見前の段階まで拡張できるのか、拡張できるとすればどこまで拡張できるのか、というところにあります。すなわち、犯罪の予防・鎮圧活動の可否・範囲の問題です。

現在の判例によれば、適正手続の要請(憲法31条)は、刑事手続に限らず、行政手続にまで及ぶことがありうるわけですが(理論的には意味不明だけど。法治国家的手続と適正手続は異なるはずですが)、その問題とは基本的に直接の関係がありません。ここでの実質的な問題意識は、抽象的に言えば、自由主義的発想ないし危害原理との関係で、犯罪予防・鎮圧等を目的として個人の自由に対する制約が認められるのかという点です(平成28年公法系第1問は採点がひどかったよね)。この意味では、「司法警察」と「行政警察」とは目的の内容によって区別されるのであって(酒巻匡『刑事訴訟法』(有斐閣、2015年)39頁参照)、権限の帰属主体によって区別されるわけではありません。活動目的が犯罪の予防・鎮圧ではない場合における警察官を「司法警察職員」(刑訴法189条1項)と呼ぶわけです。あまり意味のない無理矢理な解釈ですけどね。

本来、「司法警察活動と行政警察活動の区別」などというものを論じることは言葉遊びの域を出ず、憲法論的には事案ごとに「プライバシーの合理的期待」の後退条件さえ考えれば足ります(渥美・前掲27頁以下参照)。捜査の端緒(刑訴法189条2項参照)があったかどうかで区別する必要はないわけです。ところが、刑訴法領域では戦前から続く大陸法理論に引きずられて「司法警察」という通常の行政法領域とは区別する概念、すなわち、裁判機関の権限を命令状に基づき委譲された補助機関の概念を誤って設定してしまったために混乱を生ずることになります。本当は、糾問主義・職権主義を否定する以上、警察概念については、裁判所からの授権なくして捜査権限を有する裁判所とは独立の機関として考えなければならなかったのですが(令状=許可状≠命令状)、法文の書き方を間違えたのです。

で、よく考えればわかりますが、行政法学上の「法律の留保」(における根拠規範としての警職法)も、刑訴法上の「強制処分法定主義」(刑訴法197条1項但書)も、自由主義及び民主主義的発想を採用することに変わりはありません。概念の機能が重複してしまっています。つまり、無駄。実際、行政警察活動と司法警察活動は性質として併存することがあります。うまく切り分けられないというのが本音です。そして、こういうのを試験では出題してくるわけですよ(ほんと性格悪くない?)

考えれば考えるほど闇ですね。

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