ゆるふわ刑法ブログ

かぽーんと刑法を考えるブログです。司法試験の過去問解説とか、基本書の紹介とかやってます。たまにリアル社会のことも考えます。論の展開が粗いのと読みにくいフォントは仕様。

情報雑感2(情報の偏りについて)

1 情報源について

こんにちは〜

今回は「情報の偏り」に至るまでのプロセスについて考えてみたいと思います。

まず、情報源についてブレイクダウンすると、下図のとおりです。

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情報源は、大きく「コミュニティ」と「情報媒体」に分類できます。「パロール」と「エクリチュール」と呼んでもたぶん大丈夫です(伝わらないよねこの用語法)。上図はさらに分解してあります。MECEに分解できてないじゃん、とか突っ込んではいけない。大雑把に理解できれば問題ありません。そう思いたい。

図の上のほうが影響力が強いというふうに書いてますけど、特に数値で実測してないので、つまり勘です。コミュニティの影響力が強いのは、閉鎖的だからです。閉鎖性が強ければ強いほどマインドコントロールされます。そう、牢…ろ、ロースクールとか、司法研修所とか。企業がお泊りの合宿形式で研修とかをやるのも閉鎖性を高めるためです。外界の情報をシャットアウトし続けると思想的に偏ることができます。SNSで同業者とか同趣味者をフォローするとかね。ちなみに、マインドコントロールを解く方法ですが、「デプログラミング」といって逆洗脳します。洗脳されてる状態がデフォルトということですね。なにそれこわい。

「情報媒体」のほうが情報が固定されている分、影響力が高そうですが、情報受領時に外界の情報を遮断できないためか実際はそこまででもありません。個人の価値観を覆す(デプログラミング)までにはなかなか力が及ばないかんじがします。たとえば、象徴的な現象として、「ネットの情報は信頼できない」とかTwitterとかでやりとりされるわけですよ。一瞬自虐ネタなのかと思ったりするわけですが(※Twitterは投稿ひとつひとつがウェブページ)、本人たちは大真面目にそう話しているのです。つまり、SNSは「情報媒体」というより「コミュニティ」なのです。情報に根拠がある/ないから信じる/信じないわけではないのです。閉鎖環境に由来するそういう「信仰」が決め手なのです。マスメディアは影響力が大きいほうではないかと思いますが、それでもコミュニティの「信仰」の前では無力です。なにそれこわい。

2 「情報がない」という情報

「情報がない」という情報無知の知を得るのは結構難しいのです。それすら手持ちのデータからすれば計算上はそうなるはずだ、というにすぎません。自然科学でも「ダークエネルギー」とか「オールトの雲」とか「計算上あるはずのもの」を考えますが、元のデータないし理論が必ずしも正しいとは限りません。もしかしたら自分が偏っていることすらわからないのかもしれないのです。

それでも、私たちは、手持ちの情報から、どれくらいの情報を持っていないのかを想像するしかありません。

たとえば、この社会に「業界」や「業種」がいくつもあるわけですが、何%くらい知っていますか? この世の中に「学問分野」がいくつもあるわけですが、何%くらい理解していますか? 10%もありますかね。小数点以下じゃないですかね。人間ひとりが持てる情報量なんてそんなものです。いくらエリートでも多数人相手では勝てません。誰でもわりと簡単に批判ができます。

いや、全部知ろうとするときりがないんで。森羅万象を理解せよとか絶対言えません。謙虚さだけ胸に抱いて生きていきたいですね。もう一度言いますが、情報がシャットアウトされ続けると思想的に偏ります。そして、必ずどこかで情報は遮断されているのです。

そういうわけで、よく分からない前置きをしましたが、とりあえず偏りの傾向(どういう情報がないか)だけ押さえて帰ってください。語りえぬものだとしても沈黙しないで推測で語ります。

前半で「コミュニティ」による強力な偏りを指摘しましたが、中でも壮大なコミュニティによる偏りがこれです。

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最初は縦軸を所得にしようかと思ったのですが、やめてぼかしました。縦軸は「物質的豊かさ」のイメージで結構です。各層のボリュームはてきとう。左が日本国内、右が欧米を中心とする先進国です。今のところ、欧米にグローバル・リーダー感があるので、そこに注意が向きます。ほら、「アメリカでは〜」とか「EUでは〜」とか正当化事由に(ならない気がするけど)持ち出されるでしょ? 「日本は遅れている!」とか。よく考えると技術はともかく文化に遅れも何もないのだけれど(日本の裁判所がラガードであることに疑いはないけど)。しかし欧米にある種のブランド価値があること自体は否定できない事実です。

で、言語の壁がありますので、英語を自由に使える「上」の層だけが「横」につながりができます。経営者や外資系の人とか、学者・研究者とか。ここから、彼・彼女らを経由して日本国内に欧米発の情報(価値観)がもたらされます。ただし、この情報は最初から欧米の「上」のほうの視点に偏っています。つまり、日本社会では「上」にいくほど欧米礼賛傾向があり、「中間層以下」はその影響を受ける、ということです。この時点で、情報が歪められて伝えられていることが推測できます。

だって、実際、私たちって欧米の「中間層以下」のイメージって持ってないでしょ? 想像するの難しいですよ? 現地の「上」の人たちだって理解していないのですから、日本国内に居住する普通(ってなんだろうね)の日本人にわかるわけがありません。その象徴的なケースが、この前の米大統領選とかだったわけです。私自身、NYTなどの有力な情報発信者がエスタブリッシュメント(支配階級的なあれ)に偏っていたことに気づくのが遅れたため、あのようになるとは想像していませんでした。

さらに、日本国内でも「下」のほうの情報は普及していません。考えられる理由としては、経済的・物質的・能力的な面などで情報発信力がないことがあげられます。後ろめたいことに手を染めていれば、もちろん公に対して情報発信などやりません。貧困者は声をあげられませんし、届かないのです。社会的信用も低くなりがちですから。

こうして、我々の多くが持っている情報の傾向として「斜め上」に偏ることになるのです(上図破線部内側)。意外と狭いでしょ? 思想的にも「斜め上」に偏ります。したがって、情報ないし思想にバランスを求めるのであれば、「上」のほうの人たちの見解は適度に割り引いて受け取る必要があり、同時に、「下」に目を向ける必要があると思われます。

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